エッセイ感想。覚え書き。

壷田典子さんよりお便りが届きました。
抜粋近松文章入りですから参考になりました。
感謝します。
→《近松の時代てほんま現代の感覚と違うんやってこと。
来世志向の時代、遊女は本人自身生きる希望をなくしてただ死にたいと思うだけの毎日…そこにオトコマエで自分と一緒に死んでくれるなんて人が現れたら…一緒に死んだ男女は来世では夫婦になれると信じられていたのですから、死を決意するハードルは今の時代や男主人公より明らかに低かったのでしょうね。
また男たちも確かにダメダメだけど、それは彼女たちに入れあげてふぬけになって以降しか描かれていないだけで、床本を読み込むと、彼女たちに出逢うまではちゃんと仕事もしていたようです。
「曾根崎心中 生玉社前の段」では「わしもまた奉公大事と勤めてゐる。
この正直を見てとって旦那のお内儀の姪に二貫目つけて、わしと女夫にし商売させうといふ談合」と仕事ぶりを認められていたからの縁談、
「心中天網島 紙屋内の段」のマクラでは「紙屋治兵衛と名をつけて千早ふるほど買ひに来る、かみは正直商売は、所がらなり老舗なり」、「冥途の飛脚 淡路町の段」のマクラでも「商ひ功者駄荷積づもり…飛脚宿の忙しさ、荷を造るやらほどくやら」と共に商売繁盛(だった)の様子。
そう思うと生まれ育ちも恵まれて、仕事もそれなりにこなしてきたはずの男たちが何故破滅していったのか…。
何故に天魔が魅入ったのか…。
大夫さんの語りに耳を済ませて、彼らの慟哭を聴き取りたい!とあらためて思いました》。