『美々卯』の薩摩卯一会長と御霊神社の園宮司と。

午後7時から平野町の美々卯本店(御霊神社西裏)でうどんすきを食べる会。
義大夫教室の生徒の森長かおるさん(サンケイリビング)が、ある取材をきっかけに薩摩夘一(さつまういち)会長と近付きになり、今夜の集まりに発展。
大阪・堺で200年続いた老舗料亭「耳卯楼」を大正14年に先代(平太郎)が麺類専門店として「美々卯」と改め、1958年3月に株式会社美々卯として設立した、うどんすき発祥の老舗麺類店。
店の玄関入ると不思議な空気に包まれ、とても幸せな感じになる。
なんと、薩摩会長(80)直々にうどんすきの世話をしてくださった。
品のいい、こころ暖まるおひとがら。
森長さん始め、有志9人、恐縮の至り。
その上、薩摩会長の計らいで御霊(ゴリョウ)神社の37代目宮司の園(その)文夫さんにもご同席頂き、驚愕の身震い。
園さん持参の御霊文楽座全盛時の場内写真の熱気に感嘆。
人形を遣うのはまだ若い若い文五郎師。
演目はナント『酒呑童子』。
園さんから、神社内にあるホールでぜひ、浄瑠璃を語ってください、との励ましを受けた。
感無量とはこのこと。
薩摩会長の祖父は先々代の津大夫師匠に義大夫の指導を受けており、堺の公会堂で『引窓』を語った御本人の引退記念浄瑠璃会では、来場された500人もの方に馳走を振る舞われたとのこと。
写真を見ると華やかな丸髷姿のご婦人方で会場がビッシリ埋まっている。
会長と森長さんが取材時に意気投合した理由が、落語の『寝床』の話題から。
会長から、『寝床』って詞、知ってはりますか?と質問されて…。
人と人との繋がりや縁というものは不思議なもの。
うどんすきの味を堪能したのは勿論だが、最後に賞味させていただいた蕎麦しゃぶも格別でした。