船木浩司さんより、感動便り!『「娘の男」への引きずった感情が…』

《猛暑、酷暑で近頃は、何をするにも「どっこいショ」ですが、一昨日は足取り軽く、二度目の『夏祭』、拝聴いたしました。
 『夏祭』はやっぱり「長町裏」の殺しの場ですね。
これでもかというほどの美しい見得や極まりが背景の祭囃子に乗って次々に現れるあたりは見飽きません。
 殺しが済んだあと、向うを神輿が行くのを団七は黙々と井戸水で泥の汚れを落すと祭の男たちの中に紛れて逃げて行く。
 祭のハレと殺しのケ。
その「あわいのところ」といいますか、間で、どうしても胸が熱くなって、涙が出そうになるのです。
 義平次だって普段からずっとというわけではないんでしょうけれど、男親なら大なり小なり持っている「娘の男」への引きずった感情が何かの拍子に爆発して、しかも、自分でも情けないと思っている欲深の小悪党ぶりを娘の男に窘められては親としてはたまりはせんわな。
いや、男としてたまらんと、思いますね。
 ところで、ここだけの話、先輩が若い団七をされてますので、義平次が団七より若くてはというあたり、大夫はずいぶん、気を遣われたことだろうと思います。
憎らしい義平次を大夫が語られる、その対照もいいのですね。
 右之助君がいけずな老婆を演るような、彼の場合はあのリアリティのなさが好きなのですが、彼にはナイショに願います。
 『夏祭』でもう一つ好きなのはお辰です。
「徳三郎さんのお辰」です。
鉄弓を顔にあてたお辰が、そんな顔になって徳兵衛どのに嫌われはせぬかと気を遣うおつぎに、うちの人が好きなのはここでござんすと胸を叩く場面で徳三郎さんはこんなことをいっていました。
 「お辰は侠客肌の女ですけど、いかにも当て付けがましいでしょ。
それでも、あたしなんかよりいい役者さんが演られればいいところなんだけど、あたしはあそこは、茶目っ気でおどけて言って、テレて引っ込むということにしたんです。
あくまでも、田舎の侠客の女房なんだしさぁ、お辰をそんな気持ちで演じたんですよ」。
 『夏祭』といえばいまだに、徳三郎さんのこの言葉と徳三郎さんのお辰が私の耳と目から消えません。
》 ←『いや、男としてたまらん』、ええ文句でんなあ。
わかりますわ。
船木さんは歌舞伎の市川右之助さんとは何でも言い合える学友で、故嵐徳三郎さんとも深い親交を交わされていました。