『長町裏の段』の舞台稽古。織田作之助『大阪論』抜粋その2。《あこだけは、世の中を諦めてしまわな…》。

 なんとか無事、終りました。
綱大夫兄との掛け合い。
息の出とマ(間)の迫力が、ビンビン、伝わってきます。
一日一日を大事に。

 夜、毎日『義太夫発声ゼミ』。
3人の新人さんが入会。
岩田さん、鶴見さん、森岡健さん。
新しいひとが入ると、空気も違ってくる。
皆でガンバリまひょ。

 それから、オダサク『大阪論』抜粋→
 《しかし、思えば、べつに(大夫は)大阪の生まれでなくても構わぬのだ。
なるほど純粋な大阪の血をもっていてくれた方が、良いに越したことはないけれど、しかし、よしんば大阪生れでなくても、この人達がすくなくとも「大阪の人」であることは、もう否定できない。
 というのは、文楽には大阪の生まれでない人が随分多くいるだろうけれども、しかし、どのひとりとして、「大阪の人」でない人はいない。
 文楽というところは、そこへはいった人を、すっかり「大阪」の色に染め上げてしまうところなのだ。

 たとえば、九州福岡の人である津太夫は、誰がなんといっても、私には見事な大阪人である。
この人は、いや、この人だけじゃない、すべての文楽の人が異口同音に言う。
 「あこだけは、世の中を諦めてしまわな、居られんとこだす」。
何故、世の中を諦めてしまわねば、文楽に辛抱して居られないのか。
 津太夫は、入門を願いに来たものがあると、きまって、こういうことを言ったそうである。
「文楽で修業しよ思たら、銭のことは忘れてもらわないかん。
文楽イはいって、飯を食おういうような料簡を起して貰たら、どんならん。
 文楽では、飯(まま)が食べられんのや。
ここは道場やさかい、銭とは縁がない。
文楽というとこは、なんぼ居っても、暮らしの楽にならんとこや。
わてみたいな一人前の太夫でも、やっぱし同じこっちゃ。
年中貧乏してる。
太夫でも三味線弾きでも人形遣いでも、みな同じこっちゃ。
で、おまはんも給金や飯食うことは考えんでもええ、餓死してもこの道で苦労したい言うのんやったら、やってみなはれ」 
 なるほど、これでは世の中―――すくなくとも物質慾だけは、あっさりと諦めてしまわねば、とてものことに辛抱して居れぬところだ》。