まる猫さんの感想 その3

《ツメ人形が整列した時。
客席から、「あの人形息してる」とか、「あの人形生きてる」といった声が、私の耳にも届いたものでした。
 勘十郎兄さんが昭和七年の入門、玉男兄さんが私の生まれた八年の入門ですから、二人ともまだ駆け出しですが、別段師匠方からお叱りもなかったんでしょう、今では考えられない、おおらかな時代でした。

 「どこまで語りました?」。
大阪大空襲による文楽座焼失後、復興公演は、四ヶ月後の昭和二十年七月十一日から、朝日会館で行われていますが、清六師匠や栄三郎さんは、疎開先から来るのに、初日に間に合わないような鉄道状況でした。

 空襲警報が出ると、三業もお客さんも、急いで防空壕へ避難します。
太夫さんや三味線弾きさんが、裃姿で鉄兜や防空頭巾をかぶっている様は、妙なものでした。
空襲警報が解除されると、一同またゾロゾロ舞台と客席へもどります。

 そして、中断したところから再開です。
八月、『関取千両幟』を掛合でやっていた七五三大夫さんが、「どこまで語りましたかいな?」と言うと、お客さんから、どこどこまでやでと答えが返ってきて、客席中大笑い、B29の爆撃でいつ死ぬかわからないというのに、長閑なものでした。
》おわり。