織田作之助『二流文楽論』への感想。壷田典子さんより。

『二流文楽論』、面白いですねの反響、結構伝わってきます。
 昨日の桂川さんに次いで壷田さんからも届きました→《文楽を取り巻く状況が織田作之助の頃と現在で非常に似ていること、私は同時に危惧も感じています。
  昨今世界文化遺産だなんだと祀り上げられた「一流の芸能=文楽」を取り上げて文化人気取りの一部評論家。
  彼らはまさしく織田作の時代の「文化人」が古靱大夫や栄三氏、文五郎氏などごく一部のみを評価し、多様な個性を持つ他の人たちをよく書かなかったようなことを繰り返しているように感じます。
  そしてそれを鵜呑みにして追随する頭でっかちな一般人。
同じ文楽ファン、どう楽しもうと本人達の勝手ですが、このような人たちが台頭し、また技芸員さんご自身もそういう人たちに煽られて本来のスタンスを忘れてしまえば、現在のような輝きは即刻失われてしまうでしょう。
  その中で英大夫さんが書かれた「愚直に修業していきたい」とのお言葉には次世代の文楽を担う立場としての自負を感じ、技芸員さん側は大丈夫だ、さすれば観る側の意識こそ「二流文楽論」を念頭に置かなければならないと心新たにしました》。
←これ読んで、織田作も喜んでまっしゃろなあ。
  『まだ一幕あるが三宅周太郎がけなしていたから、見なくてもいいだろう。
よし、判った、文楽のよさが判った、と帰ると、もうそれで一かどの文楽通らしく文楽を語るのだ。
…退屈したが、退屈したとは書かない…古靱よりも南部や伊達太夫の美声の方が気に入ったと書いたり、栄三のよさは判らぬと書いたりすれば、芸術の判らん男と思われるから、古靱と栄三をほめて置く。
たちまち文楽論が出来る。
出来る筈だ。
…』←織田作の文楽への愛情が迸り出てます。
真理は永遠である。