織田作之助の『二流文楽論』について、桂川あかねさんより、お便り!

→《織田作之助の『二流文楽論』抜粋を興味深く読みました。
60年前と現在と、文楽を取り巻く状況がソックリ!という事にまず驚嘆。
  当時からそんなに東京で文楽が珍重されていたのか?と意外でした。
文中、三宅周太郎の名前が上がってましたが…有名な『文楽の研究』が出たのが昭和5年頃。
本格的に文楽を論じた書として注目され、知識人の間にちょっとした文楽ブームが巻き起こった様です。
  同時に文楽の修業の厳しさと、生活には恵まれない実態に驚きと同情が集まる事となりました。
ちょうど作之助の青春時代。
しかし大阪人として一流偏重の文楽ブームに違和感を抱き続け…その思いが『二流文楽論』に結実したのだと思います。
  戦後の文楽は作之助の想像した通り、戦前からの名人の多くは去り、苦しい旅巡業の辛酸を嘗める事となります。
私も子供の頃、九段会館や地元の公会堂など…巡業地で文楽を見る機会が多く、子供心にもチョツピリ哀愁を感じてました。
でもとても面白かった。
  文楽の人々は何時でも何処でも、どんな条件でも、愚直なまでに誠実に舞台に向かってました。
その気持ちがあればどんな逆境にあっても文楽は滅びない!。
  そんなメッセージを作之助は残してくれたと思います。
考えてみれば1946年…作之助が『二流文楽論』を書いた時、大阪は焼き尽くされていたのです》←感謝します。