織田作之助『文楽二流論』(1946年)続き。《その時こそ、文楽の忘れられていた魅力が改めて甦る》。

《佃煮が東京で流行したように、文楽は大阪でよりも東京で歓迎された。
  しかし、文楽が東京で受けたのは東京での公演回数がすくないからで、大阪のように毎月の常打小屋があれば、せめて文楽だけは見て置こう、見るなら名人の生きている今のうちだとあわてて駆けつける文化人が、東京にはいかに多くいるとしても、恐らく毎月見に行きはしないだろう。
……文化人としての教養のお洒落は、一度見物して置けば、それで一応形がつく。
  あれが栄三、文五郎、古靱、サワリいいね、三位一体、人形づかいの顔や黒衣が邪魔にならぬ、人形に魂がはいっている。
  リアリズムとシンボリズムの違い、人形劇こそ最大の舞台芸術だ……文五郎のお園のポーズの美しさ、栄三の方が渋いと云うがなるほどジタバタしないところは貫禄がある。
  汗びっしょり、声楽家でもあんなに声が続かぬ。
人形重いだろう。
随分労働だ、激しい修業をするそうだ。
生活には恵まれぬらしい。
気の毒だね。
筋なんか判らなくっても結構見られるよ。
妙な声だがあれがいいんだろう。
さすがに古靱品があるね、文楽精神うたれるよ。
  絵葉書売店で買って帰ろう。
まだ一幕あるが三宅周太郎がけなしていたから、見なくてもいいだろう。
  よし、判った、文楽のよさが判った、と帰ると、もうそれで一かどの文楽通らしく文楽を語るのだ。
文章にも書く。
  退屈したが、退屈したとは書かない。
喋る時はお転婆娘か悪所通いの男のようでも、書く時は見合写真のように、つつましやかな処女か汚れなき童貞に見える必要がある。
古靱よりも南部や伊達太夫の美声の方が気に入ったと書いたり、栄三のよさは判らぬと書いたりすれば、芸術の判らん男と思われるから、古靱と栄三をほめて置く。
  たちまち文楽論が出来る。
出来る筈だ。
……彼等(志賀直哉や川端康成を指して)がこの国で一流作家として通っているのは、彼等が二流たる事を自覚して、われ二流なりと言い切らないからである。
  一流という言葉がこの国でどんな卑俗な意味に使われているにせよ、既に彼等の文学を二流の地位に引き下げるほどの一流文学を古典として持っている以上、いち早く一流作家という肩書きを返上して、二流たることを宣言すべきではあるまいか》←文楽豪華メンバーの30年以前、客席はガラガラ。
今、東京大阪満杯。
オダサクは慧眼!。