壷田さん、WEBマスターからも、お便りが。

出演者のひとりの壷田さんから、お便りが届きました。
HPのコーナーを御覧くださいませ。
そして、WEBマスターからも珍しく私信が届きました→《壷田さんの感想「一言、一音、息の引き方ひとつひとつに意味がある上に休める部分が皆無であり、またそれを全て手中に収めることすらスタートラインに過ぎないのだということ」。
 どこかで聴いたことのある表現のように思ったら、まるで聖書に対する感想みたいですね。
 一点一画に意味があるが、しかも、形式としての紙上のそれに“固執”することで真理を得られるのでない。
それが語られ、時空に解放される時に霊が働く!! 以前、古典の床本を見させて頂いて(初のゴスペル・イン・文楽へのサポートを、近江兄弟社の岩原・前社長にお願いするため待ち合わせた滋賀のホテルで。
懐かしいですね)、いろいろ技術上や、解釈上?の書き込みがされ、その書き込み自体が、先人からの伝承である、というのを目の当たりにして、「まるで聖書の写本だな」「神学者の聖書。
勉強ノートだな」という感想を抱いたものでした。
 関西学院大神学部の水野教授も、そういうあたりに惹かれるところがおありかも知れません。
 又、圓尾さんからも、丁重なメールを頂き「筆の勢い」とのコトバを英さんから頂戴した、と。
いいコトバですね。
感動なくして文筆なし派の人間としては同感至極でした。
内助の功、奥様にもよろしくお伝えくださいませ》。