谷町界隈を歩くと印刷会社が多いことに気づく。
出版社が東京に一極集中している現在では信じられないことだが、かつて大阪には独自の出版文化が栄えていたノダ。
西鶴や近松が活躍した江戸期以来の流れがあると思われる。
明治末から大正にかけて一世を風靡したのが立川文庫の講談本で、出版元の「立川文明堂」は現在の大阪市中央区南本町や博労町などに所在があった。
大正~昭和初期の大阪を象徴する出版社にプラトン社がある。
中山太陽堂という化粧品会社が自社の広告宣伝として設立した会社で「女性」「苦楽」といった雑誌を刊行していた。
顧問に劇作家の小山内薫、表紙やカットを手がけたのは、後に資生堂イメージを確立したグラフィックデザイナーの山名文夫といった面々で、地元安堂寺町出身の作家、直木三十五も入社し、作品を発表していた。
わずか6年ほどの活躍だったが、日本のモダンデザイン史とってのエポックとなったプラトン社の存在は大阪の出版文化の輝かしい時代の記憶として留められるものだろう。
←『モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代』(小野高裕、他著/淡交社)より。