失われた時を求めて…地元の風呂屋『いろは湯』へ。

いろは湯にかかっている『湯槽には手拭いをつけるな』などと書かれた、大阪市衛生局の注意書きの日付が昭和40年。
番台にはポツン、とおばあちゃん。
作家直木三十五は安堂寺町生まれ。
直木は大正昭和初期の大阪の出版文化に輝かしい歴史を刻んだ「プラトン社」に入社し、作品を発表した。
当時、事務所は谷町にあり、直木はじめ錚々たる人達がいろは湯に通っていた。
東の不動湯は長崎パルテノン。
西のいろは湯はプラトン社。
奇しくも大正昭和モダン自由人が通った東西の風呂屋に、80年を経て僕は通ってる!。
大阪市内に46年ぶりに帰り、忘れていた時空が再現されつつアル…奇異な感じや。