『新口村(にのくちむら)』は難しい。and教会堂への誘い。

朝、キリスト教会の日曜礼拝へ。
会堂でボーットしているだけでも、聖歌が聞こえ、二千年も前の文字通りBC(before christ)元年前後に関するメッセージが語られ、誠に清新な気分になります。
ふだんのもろもろの罪意識と、聖なる悔い改め。
バランスがとれるということ、即ち癒しでっせ。
そして永遠の生への望みの確信。
ぜひ、いちど、ひやかし半分でもいいですから、日曜日に一念発起して近くのキリスト教会へ行ってみて下さい。
なあに、神様からみたら、神父でも牧師でも殺人犯でも…人間皆、どんぐりの背比べ。
ワシはようやってる、立派やと内心思っている人より、もうアカン、最低の人間やと思い悩んでいる人の方が神様の見立てはよろしい。
聖書にもイエス・キリストが『健康な人に医者はいらない』と自称善人を皮肉ってる箇所があります。
ところで今日、『新口村』のテープを聞きましたが、エエもんですなあ。
そやけど難しい。
枕といい忠三郎の嚊(かか)といい…。
『ロック曽根崎』に負けんよう、いや、私なりの『新口村』を確立できますよう、がんばりまっさ。