椎名町の僕のアパートから徒歩1分の『不動湯』のこと。

《大正末から戦前戦中にかけて、池袋から椎名町周辺には数々の画家や彫刻家、詩人や小説家などが群がるように住み着いて幾つものアトリエ村を作り、独自の文化を形成して『池袋モンパルナス』と呼ばれた。
色々なアトリエ村の中でも、さくらヶ丘は『長崎パルテノン』とも呼ばれ、第1~第3ブロックに分かれた総数70軒とも80軒ともいう大規模なものだった。
これだけの規模の芸術家コロニーは日本はおろか世界にも類がない。
住人の多くは、金も名もなく、しかし理想と志だけは高い若者たちである。
大正末創業の銭湯、不動湯は当時この界隈唯一の銭湯で、皆の情報交換の場だった》東京人4月号ヨリ。