『勘平切腹』についてお便り。

久しぶりに1/7の日記を書いたら、お便り。
東京のNYさん→《松竹座の『勘平切腹』を観に行かれたとのことですが、勘平が家に帰って浅葱色の紋付に着変えるのが東京型。
狩人の縞の着物のまま=文楽と同じなのが上方型…衣裳の違いが一番の特徴、勿論、動きも違ってきます。
以前観た鴈治郎=藤十郎は上方式でやってましたが、どちらの型でしたか?》。
ウーン、そういえば、仁左衛門==勘平が家に帰ってきて、浅葱色の着物に着変えていました。
ショッキングな色合いで、ドキッとしましたが、カッコええなあ、とも感じました。
狩人の縞の着物のままの上方風もさぞ、よろしゅおますやろなあ。
それから、大阪のDTさん→《7日の日記を見ましたが、 勘平「切腹」ではなくて「腹切」ではないんですか?》。
ウーン、そういえば演目には『勘平腹切』となってますなあ。
どっちやろ?そやけど僕らは普通、勘平切腹と言いまっせ。
祖父若大夫の年代ものの床本にも『勘平切腹』と大きく書いてあります。
小佐田定雄先生に電話→《判官切腹と勘平腹切。
武士と浪人の区別でっしゃろか?》とのこと。
舎人の桜丸切腹とも言うけれど、忠臣蔵の場合、特に区別してるんでしょうなあ、と。