久しぶりに住兄に叱責を受ける

今日は早めに楽屋入り。
住兄の『すし屋』が終わり挨拶にならんでいた時、兄と目が合った途端、皆の前でエライおこられた。
お前、なんちゅう八幡山崎を語ってんねん!(僕の声がサイアク状況の一昨夜、運悪く兄は聞いていたのだ)。
しゃあない。
叱られるというのは有り難いことだ。
相手にされているのだ。
今は親でも子供をよう怒らない時代。
兄が舞台のあと風呂で汗を流されて楽屋で着替えられている時、もういちど自発的に挨拶にいき、叱責の繰り返しを聞いた。
なにごとも逃げ腰はアカン。
神のなさる業は何事も時にかなって美しい。