井上達夫(法哲学)から感想、

井上達夫先生(法哲学)より感想文をいただきました。「逢おう逢おうと楽しんで百里二百里来たものを〜」。大概の語り所を済ましたあとのこの相模のくだり、詞。ここいいのです!〜

先日は江東区文化センターでの文楽公演、『一谷嫩軍記』の「熊谷桜の段」と「熊谷陣屋の段」、および『檀浦兜軍記』の「阿古屋琴責の段」、ファン一同で、楽しませていただきました。

いずれも源平の戦いを背景にしながら、『一谷嫩軍記』では、源義経とその臣下の熊谷次郎直実が後白河院の落胤たる平敦盛を救い、『檀浦兜軍記』では、源頼朝を襲って平家の仇を討とうとする悪七兵景清の愛妾たる阿古屋を、頼朝の臣下の秩父庄司重忠が拷問から救うという、源平の対立を越えた人間的な信義をテーマにしており、法哲学者としてはまことに興味深い作品でした。

『一谷嫩軍記』においては、かつて源氏が平家に敗れたときに、子供であった頼朝と義経を平家の侍・弥生兵衛宗清が救ってくれたことへの義経の報恩の情が根底にあります。
これは、敵といえども恩を仇では返さず、たとえ将来、平家復興の種となり源氏に禍をもたらそうとも、恩には恩をもって報いるという敵味方を越えた普遍的な信義と互恵性へのコミットメントであり、法哲学的には、特殊集団への忠誠を越えた普遍主義的な公平性、すなわち正義の理念に連なります。

『檀浦兜軍記』では、詮議役の重忠が、身体的拷問による自白の強要(しばしば虚偽の自白の強要)という、当時では当たり前の残酷な糾問手段を求める岩永左衛門を斥けて、「琴責」と称された方法、すなわち、琴・三味線・胡弓という楽器の演奏に顕れる演奏者の真情の観察を通じて、「景清の所在を知らぬ」という阿古屋の言明の真偽を確かめます。
これは拷問禁止という近代の刑事司法の原理を先取りするものです。

しかも、身体的拷問が禁じられた現在でも、袴田事件のように、精神的拷問により虚偽自白を強制する冤罪事件がいまだになくならない日本の警察・検察の捜査実態と比較しても、「琴責」は、はるかに先進的です。
「琴責」という芸術的手段で本当に証言の真実が確かめられるかどうかが問題なのではなく、身体的拷問のみならず、陰湿な心理的強迫による精神的拷問も排して、審問される者の人間性を尊重することにより誠実な証言を引き出す「文明的に洗練された方法」をとる必要性が、「琴責」という芸術的審問により象徴的・比喩的に示されているのです。
日本の検察・警察の関係者には、ぜひ、この「阿古屋琴責の段」を彼らの定期的研修の際に観劇させたいですね。

特殊集団への忠誠を超えた普遍主義的公平性としての正義の理念、身体的・精神的拷問を禁じる近代刑事司法における人権尊重原理、これらはいずれもきわめて近代的・現代的な価値で、しかも普遍性をもつものです。

私はこれまでも、師匠に、文楽作品には、近現代に通じる先進的な価値が表現されているという感想を述べてまいりましたが、今回の二作品についても、このことを特に強く感じました。

以上のことを言った上で、あえて付言すれば、今回の二作品には、上記のような法哲学的原理には還元できない、複雑微妙な問題も孕まれています。
『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋の段」においては、親の忠義のために子を犠牲にすることの問題性、『檀浦兜軍記』の「阿古屋琴責の段」においては、芸道を追求する者の人間的誠実性と表現者的真摯性は一致するか(芸術における虚と実の関係は如何なるものか)という問題です。

後者にはここでは立ち入りませんが、師匠が演じられた「熊谷陣屋の段」における前者の問題は、この曲においても未解決のディレンマとして残されていると感じます。

熊谷次郎直実が主君たる義経の「桜の制令」の意を汲んで、我が子の小次郎の首を敦盛の首と見せかけて敦盛を救ったことを、妻の相模は衝撃を受けつつも一旦は受け入れ、敦盛の母の藤の方にその首を見せて「サイナア申し、これようご覧遊ばしてお恨み晴らしよい首じゃと、褒めておやりなされてくださりませ」と言い、実はその首は我が子の小次郎の首であることをこっそり知らせて、夫の直実の工作に協力しました。

しかし、その後の事態の進展を黙って見ていた相模は、夫の直実に対し、改めて、「我が子の死んだも忠義と聞けばもう諦めていながらも、源平と別れし中、どうしてまあ敦盛さまと小次郎を取りかへやうが」と問い、その問いに対する直実の「知れたことを」で締め括る冷淡な応答に、咽び入り、次のように声を荒げて反発します。

「エ、胴欲な熊谷殿。こなた一人の子かいなう。逢はう、逢はうと楽しんで、百里二百里来たものを、とっくりと訳も言はず、首討ったのが小次郎さ、知れたことをと没義道に、叱るばかりが手柄でもござんすまい」

この相模の激白を、師匠は身悶えするような痛切な声で語られました。
こういう比喩が適切かどうかは分かりませんが、それはまるで、我が子の死を悲しむ母が、その悲しみの声を、その子を産んだ自らの胎内から絞り出すような声でした。

そこには、主君への忠義のための我が子の犠牲という夫の論理に従おうとしながらも、従いきれないでいる相模の小次郎への愛が、「痛切」の字義通り、痛ましいほど切実に表出されています。

相模は、一旦は受け入れた夫の「道義」を、ここで、親の子への愛を冷淡に無視する「没義道」だと、ひっくり返しているのです。言わば女の、そして母親の「ちゃぶ台返し」です。

私は、この曲では、義経、直実、弥陀六こと宗清ら男たちの敵味方関係を越えた信義に基づく勇ましき友情と同等の、あるいはそれ以上の重みが、母としての相模の子への愛に与えられているのではないかと感じています。
作者の並木宗輔が上記の相模の言葉を「と声を上げ、泣きくどくこそ道理なれ」と付記して共鳴的に呈示していることにも、それは現れているように思います。
宗輔があえて「道理なれ」という語をここで使っていることが重要です。

師匠も、上記の相模の言葉を渾身の力をこめて語られた後、小気味好い賑やかな楽器の伴奏に乗った義経・直実・宗清たちの掛け合いを、私には少し「恬淡」と思われる抑えた調子で語られました。
最初は声が少し疲れたのかとも思いましたが、むしろ、男たちの勇ましき掛け合いのフィナーレを恬淡に「一歩引いて」語ることで、その前の相模の「ちゃぶ台返し」の激白
にこそ、本曲のピークがあることを示されようとしたのではないかと、いま感じております。

以前、『和田合戦女舞鶴』の「市若初陣の段」の長文の感想の中で、「封建道徳」と言われているものは、一枚岩の静的な規範体系ではなく、忠・孝・愛が相剋しあい予定調和の解決がない多元的で動的な世界だとする倫理的葛藤論の視点を提示しました。
今回観劇させていただいた『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋の段」においても、文楽作品における倫理的葛藤への洞察の深さを感じました。

蛇足ですが、親の忠義のために子を犠牲にする、しかも我が子の首を貴人の首の替え玉として差し出すという話は、文楽に多いですね。
私が観劇した師匠の上演作でも、2023年9月の『菅原伝授手習鑑』「寺子屋の段」、本年5月の『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」に続き、今回の「熊谷陣屋の段」で三回目です。2020年に素浄瑠璃で鑑賞した『義経千本桜』「すし屋の段」では、いがみの権太は我が子の首は差し出しませんが、平維盛の妻子の身代わりに自分の妻子を梶原景時に引き渡した点ではやはり子の替え玉犠牲のモチーフを共有しています。

親の忠義のための子の犠牲というモチーフは、現代から見ると残酷ではありますが、決して文楽だけの話ではありません。
クリスチャンの師匠にとっては馴染み深い話だと思いますが、旧約聖書に出ているアブラハムによる子イサクの犠牲の逸話があります。
神がアブラハムに神への信仰の証として自分の子イサクを犠牲として屠れという命を下し、アブラハムがそれに従って、イサクを押さえ込んで、その喉を掻っ切ろうとしたとき、神の使いである天使が止めたという逸話です。
この場合は、アブラハムがイサクを犠牲に捧げる意志を明確に示し、その実行に着手しようとした寸前に神が止めたのですが、神が自己への忠誠の証明として子を犠牲にする覚悟をアブラハムに求めた点では、文楽における親の忠義のための子の犠牲というモチーフと共通するものがあるように感じます。

親の忠誠証明のための子の犠牲について、文楽での理解と、キリスト教における理解とがどこまで重なり、どこから違うのか、いつか機会があったら、師匠のご意見を伺いたく存じております。

 

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江東区文化センターの楽屋にて。

只今、江東区文化センターにて公演中です。国立劇場がないのはほんま、寂しいし、お客さまにも申し訳ありません。一般企業の資金をあてにしての新築ではなく、国の責任においての改装が常道やと思います。さて、こんなジプシー公演ではありますが、北千住とか東陽町とか、いろんな東京に出会い、オモロくもあります。東京の地下鉄も万能ですね。
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