春の芽吹きのように―2022年初春公演―

森田美芽

春の芽吹きのように、黒土にわずかに顔を見せたばかりの緑が鮮やかに薫るように、その時は少しずつ着実に近づいている。コロナの蔓延が、人々に劇場への足を遠のかせているいま、それでも途切れることなく、彼らの舞台は続き、その技芸の高みへと近づいている。
私にとっては27度目の初春公演。人は変わる。しかし、演目は人を新たに、繰り返される。時は巡りつつ、一人ひとりの内に、かけがえないものとして積み重ねられる。

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第一部、『寿式三番叟』翁を呂勢太夫、千歳を靖太夫、三番叟を小住太夫と亘太夫、ツレに碩太夫と聖太夫(後半薫太夫)三味線は錦糸、清志郎、寛太郎、清公、燕二郎。
人形は、翁を和生、千歳を勘市、三番叟は玉勢と簔紫郎。格を重んじつつ、意欲的な配役。
呂勢太夫はこの翁の格を保ちつつ、祝祭と祈りの荘厳さを示す。靖太夫は千歳に瑞々しさが欲しい。三番叟の二人は勢いと共にユーモラスな雰囲気も出ている。錦糸は鈴の段の14回のユニゾンもあまり緩急を目立たせず、それでいて人形にはたっぷりと、呼吸を合わせて遣う楽しさを見せるよう、心憎い演出。和生の翁は師を彷彿させる品格と穏やかさ、勘市の千歳は軽やかに、簑紫郎と玉勢はリズムよくテンポよく、また掛け合いの楽しさ、息の合った遣いぶりで客席を楽しませる。若々しい弾けぶりよりも、三番叟の福の種を蒔くことの大切さを、その歩みと動きに込めながら。
『菅原伝授手習鑑』「寺入りの段」芳穂太夫、清丈。芳穂太夫は詞がしっかりしている。今回、千代の詞で「これはマア御留守かいな」の一言に、初めてそれが持つ重みを感じた。あるいは「大きな形して後追ふの」の後の「か」の一言に込められたものが強く感じられた。ただ千代と戸浪の差がはっきりしないのと、地のさばきが時に荒く感じるところがある。清丈は淡々とその深さを伝える。

「寺子屋の段」前、錣太夫、藤蔵。この「前」での情の表現の豊かさ。戸浪の優しさ、源蔵の変化、「労しや浅ましや」の真情、小太郎を身代わりと決意してからの二人の苦悩、また「退つ引きさせぬ釘鎹、打てば/響けとうちには夫婦」などにじわじわ追い詰められる二人の苦悩を垣間見せる、情味豊かな前場。藤蔵のアシライの巧みさと強弱の幅。
、咲太夫、燕三。「ご夫婦の手前もあるわい。」はやや低く、あまり強めない。泣き笑いも含め、全体に抑えた中に哀切なる思いが籠る。いろは送りでは「散るぬる命是非もなや」の一節が全体を担うように。燕三はその薄闇の悲しみの色を滲ませる。
和生の源蔵、直情径行な忠義者。そして菅丞相から委ねられた筆法伝授の一巻をしっかりと祈念するところが、全段を通した源蔵の性根を明確に出している。一輔の戸浪はしっかり者の女房、だが母性というよりキャリアウーマンの顔が時折覗く。玉男の松王、動かずしてその性根を見せる風格と、父の嘆きの対比。勘彌の千代が好演。御台所の紋吉(後半玉誉)、情の深さを感じさせ、菅秀才は玉征(後半勘昇)で前半はおっとり、後半はきちんと品格を見せる、よだれくりが玉彦(後半勘介)で笑いを取り、玉峻の小太郎が健気で、簔之の下男三助は下手でしっかり芝居をしている。文哉(後半紋秀)の春藤玄蕃の小役人ぶりもいい。

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第二部、『絵本太功記』
「二条城配膳の段」掛け合いで光秀を三輪太夫、春長を津圀太夫、森の蘭丸を咲寿太夫、十次郎を碩太夫、中納言を南都太夫、勝平の三味線がドラマ性を描き出す。実際、主君を殺すということがどれほど重いか、母さつきが命を賭けて諫めるほどの重大事なのだ。咲寿太夫が蘭丸を勢いよく、その忠義心をよくあらわし、津國太夫の春長が肚に一物あり、南都太夫は中納言のさばきがうまく、三輪太夫の光秀は、なぜ主君殺しに至ったかを納得させる語り。碩太夫はまだやや単調だが衒いのない語り。

「夕顔棚の段」藤太夫、團七。最初に近在の百姓たちの表情、誇り高き老女、集まる女たち、謎の旅僧、十次郎の初陣。偶然ではない、その深さを、籐太夫は奥深く語ることができる。それにしても皐月の「戦場のこと聞きとうない、アアいやいや情けなやの浮世や」の何と響くことか。女たち三代の交流を團七がたおやかに奏でる。

「尼ヶ崎の段」前、呂勢太夫、清治。十次郎と初菊。「残る莟みの花一つ」からの十次郎の痛ましい決意から、「鎧の袖に降り掛かる」がまさに降りかかる雨の風情。それ以上に響くのは「嫁女、可哀やあつたら武士を」の嘆きである。この構成力、清治の糸が冴える。
、呂太夫、清介。「ここに苅り取る真柴垣」からの光秀の、一歩ずつ近づいてくるその迫力。そこから一転しての、母殺し。だがここで、皐月の詞がこれほど沁みようとは。「内大臣春長」の「春」にアクセント、つまり主君殺しをあくまで認めようとしない母は、苦しい息の下から「人非人」を息子に届くように言う。「不義の富貴は浮かべる雲」でその儚さを強調し、「百万石に勝るぞや」で道を説き、「主を殺した天罰の報ひは親にもこの通り」ここに、分かり合えない母と息子の悲劇がある。
この母の頑迷さ、光秀の見ている現実を認めない強さに対し、光秀はあくまでその必然性を主張する。そして十次郎の帰還。畳みかけるように「ヤイ光秀、子は不憫にはないか、可哀いとは思はぬかやい」と母は責め立てる。この義と義の対決、和解できない理の闘いに対し、何より十次郎の死への痛みが彼を決定的に動かす。
「さすが勇気の光秀も」から「雨が涙の汐境」でクライマックスに達する。実に、三業ともここがこの舞台の頂点としてこの上ない昂揚を覚えた。あとは汐が引くように、物語としては収斂していくのが見える。終始母皐月の重みを感じる舞台、そして光秀の、私怨ではない、男として武士としての義と誇りのゆえに、主君殺しを決意するその悲劇の全体から生まれるドラマの骨格を見事に描いた呂太夫、それにさらなる迫力を備える清介の三味線の縦横さ。

人形ではまず、勘十郎の光秀。悲劇の武将の骨柄、父としての嘆き。今回はその強さの中に大オトシへの緊張の高まりが素晴らしい。簔二郎の妻操、クドキの前に光秀に一礼する型、あれは姑の皐月への礼ではなかったか。あえて文七かしらの夫をいさめるという迫力が今一歩。
紋臣の嫁初菊。愛らしく、恋に憧れるような前半。後半、契ったばかりの夫を失うという悲劇を経ての覚悟への変化が著しい。玉佳の十次郎、スケール大きくさわやかな遣いぶり。すべての人から惜しまれる清らかさ。勘壽の母皐月。夕顔棚の隠居の中に見せる矜持、命がけで息子をいさめる迫力。この手強さがなければ、この舞台は生きない。玉志の久吉、実は光秀と対抗する強さとスケール。前半の旅僧姿にもその雰囲気が漂う。

 

第三部、『染模様妹背門松』ここでは大晦日の一日の内に起こる悲劇。「生玉の段」希太夫、清馗、ツレ亘太夫、清方。希太夫はこの若い二人のままごとのような恋路を、またその中で義理をわきまえた久松の苦悩を、「結ぶ互ひの悪縁も」から転じる調子に活かす。また善六の詞も明確。清馗はこうした大阪の町人世界の風情を的確に弾く。

「質店の段」千歳太夫、富助。冒頭、子の着物を質に入れる母の詞が利いている。そして久作の登場と、息子を諫めるその一言一言が響く。「今日を真つ直ぐに暮らすこそ人間なれ」が芯のように通っている造形。富助はこうした人々の心に寄り添うような三味線。

「蔵前の段」織大夫が病気休演で藤太夫と宗助。父の情けある言葉より、白骨の御文様よりも、久松と共に死ぬしかないという世間の壁に涙を誘う。お染のクドキもたっぷりと、宗助の澄んだ音色が冴える。
清十郎のお染と勘彌の久松。実にバランスがよく情味のある、しかしまだ幼いと感じさせる二人。清十郎は首を自在に遣い、簔助のそれを彷彿させる。しかし清十郎のお染は、14歳くらいだろうか、幼さゆえの一途さが迫る。勘彌の久松も然り。善六の出番が少なく簑一郎は少し気の毒。清五郎の質入れ女房がそれらしい。玉也の久作に年齢の重み、文昇はおかつで元気なところを見せる。玉輝の太郎兵衛もいい味を見せる。
通例、正月狂言は人が死なないようにということで、お染の亡骸を見せる演出は私も初めてである。通常は善六との絡みで、久松と逃げることが多い。

 

『戻駕色相肩』「廓噺の段」睦太夫、靖太夫、希太夫、咲寿太夫、小住太夫、文字栄太夫、清友、團吾、友之助、錦吾、清允。浪花次郎作を玉志、吾妻与四郎を玉助、かむろは簔二郎。
平成17年(2005年)以来の上演。次郎作の大阪と与四郎の江戸を対比で見せ、かむろの京を添えて華やかに仕上げる。三味線も軽やかに、はんなりと優しい。追い出しには相応しいだろうが印象が薄いのは否めない。

公演の終盤になって、呂太夫、錣太夫、千歳太夫の3人が切語りに昇進するとの報が入った。遅きに失した感はあるが、それでも大きな一歩である。この3人はすでに切場を語っており、その成果を挙げている。しかし「切」となることは、切の字が許されることは別の意味がある。名実ともに義太夫節の正統、これでなくてはという芸の境地を見せ(聞かせ)続けていくことであり、あらゆる意味で、格と規範が求められるのだから、責任は重い。今回の3人はそれぞれに、その重みを感じさせる舞台であった。その中で呂太夫の語りは、まさに義太夫節の正統を継ぐものであり、古典を現代に生かすものである。これからの一つ一つ語りに注目したい。

掲載、カウント2022/1/31より)