夜寒か、夢か―国立文楽劇場平成30年11月公演―

森田美芽

 11月は本来なら紅葉を愛で、冬の足音を聞く、心深き月である。なのに庭に朝顔が残り、昼は24度の日が続く。季節の異様さを嘆きつつ、劇場においても、冬と夏が混在している。

 11月公演、第一部は『蘆屋道満大内鑑』で幕が開く。しかしいきなり「葛の葉子別れ」。「加茂館」も「保名物狂」もなく、物語の佳境に入れられ、葛の葉姫と女房葛の葉の関係など、観客を置き去りにしていくようだ。
 それでも中の咲寿太夫は頑張っていた。「隣柿の木」など、声は伸びやかで一語一語丁寧に語るが節はまだまだ、詞も堅い。木綿買なども、まだ変化が十分ではない。後半は小住太夫。勝平は若い太夫に頼もしい助け手、安心感をもたらす。
2018_11月文楽公演-配役ちらし-表面
 奥は津駒太夫、宗助。津駒太夫は狐詞がやや不明確なところがある。しかしこうした情を聴かせる力はさすが。宗助とのコンビも快調。

 人形では、まず和生の女房葛の葉。母性愛の深さと、童子に語り掛ける覚悟の凛とした風情。狐の身の悲しみを深く伝える。
 しかし出会いからの経緯なしのいきなりの別れで、今一つ感情が乗り切れない。清十郎の保名、この場面だけだと、単なる狼狽え者に見えてしまい、「われはちっとも恥ずかしからず」に到る心の起伏が伝わりにくい。もったいない限り。

 信田の庄司の玉輝、庄司の妻の簑一郎、存在感を出している。
 簑紫郎の葛の葉姫、宙に目をやり、戸惑いの風情、生きている表情。
 勘次郎が阿倍童子、いたいけで愛らしい。
 木綿買の荏柄段八は勘介、動きのある役。信楽雲蔵を玉延、玉峻、簑悠が交替で。玉路は落合藤治。ここらは若手が生き生きと遣っている。

 「信田森二人奴の段」
 友之助が気合の一撥、それを受けて南都太夫が凄みある悪右衛門。芳穂太夫がリードし、津国太夫はやや声が伸びなかったようだが、それでもユーモラスでおおらかな与勘平。
 咲寿太夫、碩太夫は小気味よい。
 三味線は藤蔵がここも力強くリズムを創り出し、清馗、友之助、錦吾、清允らが気持ちよく合わせる。
 床のまとまりのよさで、ここはあまり深刻にならずに、人形の動きを楽しめる。
 簑太郎の悪右衛門が鬼若らしいきびきびした動き、野干平の玉助は水を得た魚のよう、ダイナミックでおおらかな動き。
 玉佳の与勘平は愛嬌ある奴。初日は段切れが少し手間取ったが、力強く決まった。
 

 続いて『桂川連理柵』
 これも「六角堂の段」からだが、「石部宿屋」が欲しいところ。
 希太夫のお絹はつつましく女らしい。文字栄太夫が儀兵衛で詞が多くなんとも下心の見える様子。
 小住太夫が長吉、阿呆らしさが少し鼻につくが、明確。團吾は的確なまとめ役に徹している。

 「帯屋の段」前、呂勢太夫、清治。切咲太夫、燕三。
 呂勢太夫、前半のチャリ場を楽しく聞かせた。儀兵衛と長吉の笑い。
 長吉がただの阿呆ではないところをしっかりと聞かせ、婆や儀兵衛の悪さも心地よい。芸の幅が確かに感じられた。
 清治の、巧まざる愛嬌まで感じさせる妙技。

 咲太夫、お絹のクドキに見せる老練さ。しっとりした三味線のうちに、一瞬で怒りを見せる。長右衛門の秘めたる思い。お半の思いつめた表情が見えるように。
 燕三、長右衛門の心の高まりを糸に託す、その息詰まる説得力。

 簑二郎の婆、すっかり手の内に入れている。
 憎さげなところも、前身を感じさせるところも。
 勘寿の繁斎、物静かななかにも皆を配慮する家長の貫録、玉志の儀兵衛、この人には珍しい三枚目の役だが、手堅く遣う。細かい動きまで正確。愛嬌ある長吉の文司と共に、確かな実力を発揮している。
 勘弥のお絹、貞淑で慎ましやかな反面、そこに秘めた情熱を感じさせた。
 玉男の長右衛門、辛抱立役の真骨頂。しかしその内に闇を抱える男の切なさ。
 勘十郎のお半、なぜこうなってしまったのか、少女の情熱の危うさと巡り合わせの悲劇であると。

 返す返すも「石部宿屋」がないことが惜しい。

 「道行朧の桂川」
 お半を織太夫、長右衛門を睦太夫、亘太夫、碩太夫。
 三味線は寛治の逝去により清志郎がシンとなって寛太郎、清公、燕二郎を率いる。華やかな節のうちに、長右衛門の無念さが憂いとなって響く。
 華やかで、そしてやりきれなさをもって、この悲劇を終わらせる。織太夫は今月この場のみ。力と気合を込めて、死出の旅に向かうお半を描く。

 第二部、『鶊山姫捨松』「中将姫雪責の段」
 前、靖太夫、錦糸。奥、千歳太夫、富助。千歳太夫は解説にも語っているように、声を上に伸ばす努力をしているが、やはり段切れには苦しそうである。しかし千穐楽近くまで声を保ち語れたのはよかった。
 富助は妥協なしの攻めてくる三味線。

 人形は簑助の中将姫に尽きる。
 継子いじめ、父との信頼関係、無垢なる姫が雪の中で責められる、その痛ましさと、それゆえの凄惨なる美。雪の中に倒れ伏すさえ美しい。

 桐の谷は一輔、誇り高く主思い、品あるたたずまい。
 浮舟は紋臣、奥方につくと見せかけて姫を助ける芯の強さを感じさせる。そして手紙を広げてのキマリも心地よく決まる。

 岩根御前は文司。八汐のような憎まれ役で最後に気弱なところも見せるが、憎々しさのうちにも品位を見せる遣いぶり。
 広継は亀次。腹に一物。紋秀、命令で姫を責める下部の心まで感じさせる。
 

 『女殺油地獄』
 先ほどは雪に冷え冷えとしたのが、今度は初夏の野崎参りで、その変化に戸惑う。

 「徳庵堤の段」三輪太夫、清友。
 これまで掛け合いの多かったこの段を、三輪太夫が一人で語って飽きさせない。多彩な登場人物を、一人ひとり存在感を持って語り、どの人物も生きて動いでいるのを感じる。
 とりわけ豊島屋一家のやり取りのおかしみ、お吉の遠慮なしともいえる与兵衛への親切と夫とのすれ違いが、後の殺し場への伏線となっていることを自然に伝えるところがこの人の実力。
 清友はその模様と状況を丁寧に描く。

 「河内屋内の段」口、亘太夫の健闘を清丈の三味線が支える。
 理屈抜きに前に出る声と力。講中や先達のおかしみ、とぼけた味わいも可。

 奥、文字久太夫、團七。文字久太夫の強みは、情を語る力をつけてきたこと。この場の徳兵衛、生さぬ仲の息子への思いがすれ違う悲しみ、与兵衛が立ち去るのを見守る眼差しに涙を誘われる。
 この場の与兵衛はひたすら自己中心、家庭内暴力をふるうドラ息子の典型のようで、河内屋一家にひたすら同情を寄せたくなる造形。
 この家庭悲劇を、しっとりと共感を持って描く團七。

 「豊島屋油店の段」呂太夫、清介。
 呂太夫の語りを聴いて、前段とは異なる与兵衛像が見えてきた。悪遣いした金のために、高利貸しに手を出し、二進も三進も行かなくなっている。
 綿屋小兵衛との会話のうちに、彼の切羽詰まった状況がわかる。親たちの情けも届かないほどに。
 誰も彼を救いうる人はいない。
 それを承知していたから、唯一お吉を頼ったのだ。

 与兵衛は本当にお吉を殺すつもりだったのか。
 油の樽を持って行ったのが、お吉に隙を作る手段なのはわかる。しかし、お吉に断られ、理性の糸が切れる。その表現が迫ってくる。

 「俺も俺を愛しがる親父がかわいい。」親に借金の迷惑をかけたくないから殺す、というのは、信じがたいが彼の中ではそれが精一杯なのだろう。
 ちょうど不始末をしてそれを親に知られると親に悪いと思って隠す子どものように、彼の中では繋がっている理屈なのだ。

 しかし、この前の徳兵衛の詞、「生まれ立ちから親はない。子が年寄っては親となる。親の初めは皆人の子。子は親の慈悲で立ち、親は我が子の孝で立つ」
 また母お沢の詞「母が生き肝を煎じて…子ゆえの闇に迷わされ」が伏線となっている。
 遠いはずのこの親子が、実は互いを呼び合っているのを感じた。
 あまりに身勝手といえば身勝手であるが、与兵衛は自分の中のコントロールできない悪を助けてほしいと、親を呼んでいたのかもしれない、と思った。

 他にも、娘の髪を梳く櫛の歯が折れたり、立ち酒を飲んだりと、様々な伏線が周到に張り巡らされ、それが語りの中で次第に悲劇を予感させ、作り上げていく、近松の作劇法を見通した語りの構成、それを立体的に造形する清介の三味線と共に、見事な一段となった。

 人形では、極め付けともいうべき勘十郎の与兵衛。
 油の場面よりも、この救いようのない男を遣って、その感情の動きを見せることが素晴らしい。
 徳庵堤での強気と急に心細くなった場も、「河内屋内」での強欲さ、父母を手にかける自己中心そのもの、サイコパスのような人物像も、その中で親を思う心を持ちながら、身の内の悪に引きずられる弱さをまざまざと見せた。
 油の中での殺人シーンは日が進むにつれさらにグレードアップし、客席を沸かせた。
 和生のお吉は、つい与兵衛に関わってしまう人の好さとそれゆえの悲劇を納得させた。
 玉也の徳兵衛は先代への忠義と与兵衛への思いの間で揺れている実直さを伝え、女房お沢は文昇が芯の強さと母の弱さを巧みに遣う。
 玉志の兄太兵衛は与兵衛と正反対の真面目さ、清五郎の妹おかちは親思い、兄思いを強く出す。玉路の山上講先達はとぼけた味わい、玉助の豊島屋七左衛門は骨太な商売人らしさを見せ、玉翔の綿屋小兵衛は与兵衛を追い詰める資本の論理の典型。簑之はお清を愛らしく無邪気に遣い、玉彦の弥五郎、和馬の善兵衛らも性根をきちんと掴んでいる。
 紋吉の小菊はこうした遊女の手管を納得させ、花車の玉誉は柔らかな物腰で目を引く。
 勘次郎は会津の大尽、それらしい風情。簑太郎の小栗八弥、武士の品格。勘市の森右衛門、この実直、武士の誇り。
 

 こうして書き進めていくと、やはり充実した舞台ではあったが、それだけでは終わらないものを強く感じた。

 11月というのに、本格的な通し狂言が出ない。それが陣容の薄さのせいか、興行的な配慮によるものか、いずれにせよ、人気のある演目の見所だけを切り貼りしたように思われてならない。
 「葛の葉」も「桂川」もそれなりに人気のある演目だが、それをこのように出してしまうと、もう数年は通しでも出せなくなってしまう。この数年、「千本桜」も「菅原」も「絵本太功記」もそのような形で、通しで出せなくなってしまっている。
 それを、観客に対してのみならず、技芸員の方々のためにも残念に思う。

 さらに、これは東京の国立小劇場の方とも同じ演目が続く、ということが続いている。

 東京と大阪はそれぞれに違う視点で制作を進めるべきであろうが、これはある意味、制作の怠慢ではないか。大阪も東京も、出すべき演目が多くあるにも拘わらず、同じ演目で演者も固定的になると、見る側にとっては期待も薄れてしまう。
 そうしたことが、文楽への失望を生まないとも限らない。次年度のさらなる努力に期待したい。

カウント数(掲載、カウント18/11/28より)

道頓堀ZAZAの昼の部を覗いた

14日の休館日。なにわ役者祭V o l.7@道頓堀ZAZAの昼の部を覗いた。座長の花浦愛一朗さんはじめ、曽我廼家寛太郎、功刀明、ミヤ蝶子、浦川ともみ、桜花昇ぼるさんら総勢19人。一幕目の芝居が圧巻のオモロさ。レベルの高さに舌を巻く。古き良き大阪弁満載!関西圏以外出身の若手の太夫は勉強になる。関西が舞台の朝ドラ「まんぷく」が東京弁主流?さておき、二幕目のショータイムがまことに贅沢。元OSKトップスター達のダンスを間近に見る迫力、スケールの大きい殺陣。座長を勤める花浦愛一朗さんは毎日文化センターの義太夫初等科の受講生。改めてリスペクトさせられました。
楽屋